家族の病気や介護は、ある日突然、私たちの日常を飲み込んでいきます。私自身、89歳の母の脊柱管狭窄症の手術や、過去には子供の入院、自身のメンタル不調など、多くの波を乗り越えてきました。
今回は、母の手術後の経過と、私の25年以上にわたる「家族のケアと自分自身の向き合い方」を振り返り、今まさに同じような境遇にいる方へ届けたいメッセージをまとめました。
1. 脊柱管狭窄症の手術後に直面した「せん妄」という現実
先日、母が脊柱管狭窄症の手術を受けました。7月1日の手術当日はHCU(ハイケアユニット)で過ごし、翌日はナースステーション横の個室。3日目にはようやく4人部屋へと移動することができました。
手術直後、個室にいた時の母には「せん妄」の症状が見られました。昨日まで普通に会話していた親が、突然つじつまの合わないことを口にする。初めて経験する方は、強いショックを受けるかもしれません。
【体験からのアドバイス】
高齢者が手術や入院という急激な環境変化に置かれた際、せん妄は決して珍しいことではありません。母も4人部屋に移り、少しずつ落ち着きを取り戻すことで元の母に戻りました。まずは焦らず、医療スタッフを信頼して見守ることが大切だと痛感しました。
現在、手術した部位の痛みは解消されましたが、長年の神経圧迫の影響か、足のしびれは残っています。リハビリの道のりはまだ続きますが、一歩ずつ前を向く母を支えていきたいと考えています。
2. 25年間の記録が教えてくれる「介護と育児の乗り越え方」
私は長年、日記を書き続けてきました。過去の同じ時期(7月上旬)を振り返ると、そこには壮絶な記録が残っています。これらは今の私を作り上げた「財産」でもあります。
過酷な30代・40代:次男の入院と仕事の両立
- 2001年(38歳):当時4歳の次男が痙攣発作で入院。中1の長男を抱え、どうやって生活を回していたか記憶がないほど必死でした。
- 2003年(40歳):再び次男が発作で入院。仕事の合間を縫って病室に付き添う日々。
当時の私は、まさに「自分の時間」など皆無でした。頭髪の変化を自虐的に笑えるようになったのは、最近のことかもしれません。しかし、こうした苦難の時期があったからこそ、今の静かな時間がどれほど尊いかを感じることができます。
「心療内科」受診をためらわないでほしい
1999年(36歳)の記録には、自治会の仕事や知人の葬儀が重なり、心身ともに限界を迎えて心療内科を受診した記録があります。働き盛り、そして家族のケアが必要な時期こそ、自分の心に限界が来ていることに気づきにくいものです。
もし今、あなたが「自分が頑張らなければ」と無理をしているなら、早めに専門家の助けを借りることをお勧めします。それは「逃げ」ではなく、家族を守るための「戦略的休息」なのです。
3. 自分のための「句読点」を打つ大切さ
母の見舞いを終えた後、私は久しぶりに元職場のOBたちとの飲み会に参加しました。1年半、あるいは2年以上ぶりの再会です。
「老けた姿を見せるのが恥ずかしい」という照れ臭さもありましたが、家族や仕事から一時的に離れ、一人の人間として旧友と語らう時間は、心の栄養になります。2015年の日記に書き留めた「価値を認めれば、人はお金を出す」という言葉。これは他者への提供価値だけでなく、「自分自身の時間に価値を認めること」にも通じるのではないでしょうか。
まとめ:明日への一歩のために
脊柱管狭窄症の介護や、家族の病気、仕事のストレス。私たちは常に多くの課題を抱えて生きています。しかし、以下の3点を意識するだけで、少しだけ心が軽くなるかもしれません。
- 変化を恐れない:術後のせん妄や後遺症など、想定外の事態も「過程の一つ」と捉える。
- 記録をつける:数年後に振り返った時、今の苦労が「乗り越えた証」に変わります。
- 自分を後回しにしない:時には飲み会や趣味で、心の「気」を入れ替える。
私のこの経験が、今、暗いトンネルの中にいると感じている方の、小さな光になれば幸いです。
※病状や治療経過には個人差があります。具体的な医療行為については、必ず主治医や専門医にご相談ください。