静かなる咆哮

~言葉は光、歩みは祈り。荒れ狂う運命を乗りこなし、真の自由へと手を伸ばす~

脊椎管狭窄症の母が「地域連携病院」へ転院。手術後のリハビリ転院で家族が準備すべきことと、多忙を乗り越える心の持ち方

高齢の親が手術を受け、一安心したのも束の間。次にやってくるのが「転院」という大きな壁です。
先日、脊椎管狭窄症の手術を終えた母が、総合病院から地域連携病院へと転院しました。

今回は、実際に転院を経験して分かった「手続きの流れ」や「家族の負担」、そして仕事や育児と重なった際の「メンタルの保ち方」について、私の実体験を交えてお伝えします。今、まさに介護の入り口に立っている方の参考になれば幸いです。

1. 総合病院から地域連携病院への転院が必要な理由

母は脊椎管狭窄症のため、神経を圧迫している骨を削る手術を受けました。術後の経過は順調でしたが、総合病院は「急性期」を扱う場所。リハビリをじっくり行うには、次のステップである「地域連携病院(回復期リハビリテーション病棟など)」への移動が提案されます。


総合病院では長期入院が難しいため、術後のリハビリをどこで行うかは、入院後すぐに相談員(ソーシャルワーカー)さんと話し合っておくことをおすすめします。

2. 転院当日の流れと家族がすべきこと

当日は想像以上に慌ただしく過ぎていきました。私が経験した当日のタイムスケジュールは以下の通りです。

  • 10:00 ナースステーションへ: 転院のための資料(紹介状や看護要約など)を受け取ります。
  • 会計: 総合病院での入院費用を清算。
  • 移動: 自家用車に母を乗せ、転院先へ向かいます。(※身体状況によっては介護タクシーの手配が必要です)
  • 11:30 転院先での手続き: 入院のための検査や書類手続き、医師からの説明を受けます。
  • 13:20 帰宅: ようやく一息つけますが、家族の体力消耗はかなりのものです。


転院当日は、必要書類(保険証、印鑑、お薬手帳、退院証明書など)をひとまとめにしておきましょう。また、転院先で再度「入院セット」の説明があるため、筆記用具があるとスムーズです。

3. 「多重介護」と「心の疲弊」にどう向き合うか

転院手続きを終えて帰宅しても、家族に「休み」はありません。私の場合は、手のかかる次男の世話やお風呂、寝かしつけまで、休む間もなくタスクが続きました。

疲れすぎていると、逆に眠れなくなることがあります。「自分だけが頑張っている」と感じてしまうと、心はどんどん摩耗していきます。そんな時、私は過去の自分を振り返ることで、今の状況を客観視するようにしています。

過去の記憶から学ぶ、人生の乗り越え方

私の日記には、20年以上前の今日の出来事が綴られています。そこには、今の苦労に繋がる伏線や、今の自分を励ましてくれるエピソードがありました。

  • 2001年: 次男が入院しており、今の介護生活と同じような「出口の見えない忙しさ」の中にいました。
  • 2004年: 父(当時72歳)が軽ワゴン車「アトレー」を購入。私が勧めたターボ・4WD仕様を喜んでくれた父の笑顔。「最後にいいクルマに乗ってよ!」と伝えたあの時の高揚感。
  • 2006年: 仕事でどん底にいた時期。上司や周囲が昇進していく中、自分だけが「歯車が噛み合わない」と感じていた苦い記憶。

今の母の介護も、仕事の葛藤も、20年前の次男の入院も、すべては一本の線で繋がっています。どん底だと思っていた2006年の私に、「20年後もあなたは家族のために動けているよ」と言ってあげたい。

4. まとめ:一人で抱え込まないために

介護は突然始まり、怒涛の勢いで生活を変えていきます。

  1. 制度を頼る: 病院のソーシャルワーカーやケアマネジャーと密に連絡を取り、家族だけで判断しないこと。
  2. 過去を肯定する: 辛い時は日記を読み返したり、過去の自分と対話したりして、今の頑張りを認めてあげること。
  3. 「ほどほど」を許す: 介護、育児、仕事。すべてを完璧にこなすのは不可能です。今日、無事に母が転院できた。それだけで100点満点だと自分を褒めましょう。

「静かなる咆哮」を上げるような日々かもしれませんが、その叫びはあなたが一生懸命に生きている証です。この記事が、同じように家族のために奔走する誰かの力になれば幸いです。