
空海が生きていた頃、この国には今ほど人間がいなかった
空海が生きていたのは、今から約千二百年前。
当時の日本には、現在の二十分の一ほどの人しかいなかったと考えられている。
世界全体でも、人口は現在の三十分の一ほど。
数字だけを見れば、不思議な感覚になる。
今の日本という同じ国土に、今の二十分の一ほどの人しかいなかった。
もちろん、昔のほうが住みやすかったとは言わない。
病気があった。
飢えがあった。
貧しさがあった。
争いがあった。
医療も、交通も、今とは比べものにならなかった。
昔の人間が、現代人より幸福だったと決めつけることなどできない。
けれども。
人口という数字を眺めていると、ひとつのことを考えてしまう。
あの時代には、今の私たちが失ってしまったものがあったのではないか。
それは、お金ではない。
便利さでもない。
豊かな物でもない。
空白である。
人間より、自然のほうが多かった
空海が生きていた時代。
人の暮らしの周りには、山があった。
森があった。
川があった。
町と町の間には、簡単には越えられない距離があった。
人間の生活と、人間の生活の間には、自然があった。
人間の声が途切れる場所があった。
人間の姿が見えなくなる場所があった。
そしてきっと。
人と人の間には、今よりずっと多くの空白があった。
家と家の間に。
村と村の間に。
町と町の間に。
人と人の間に。
空白があった。
もちろん、それは孤独と隣り合わせだったかもしれない。
昔の人間関係が、楽だったわけでもない。
むしろ、共同体の中では、現代より逃げ場がなかった可能性さえある。
その村から離れることが、生活を失うことにつながった時代もあった。
だから、昔を美化したいのではない。
ただ。
現代とは違う「人間との距離」が、そこにはあった。
現代人は、一日中、人間の中で生きている
私たちは朝から、人間の中にいる。
電車に乗れば、人がいる。
道路を走れば、人がいる。
店にも、人がいる。
職場にも、人がいる。
病院にも、人がいる。
家へ帰っても、終わらない。
小さな画面を開けば、また人がいる。
会ったこともない誰かが話している。
怒っている。
笑っている。
成功している。
傷ついている。
誰かを批判している。
誰かに批判されている。
知らない人間の人生が、次々に自分の中へ流れ込んでくる。
そして私たちは、知らない人間と自分を比べている。
知らない人間の言葉に傷ついている。
知らない人間に腹を立てている。
現代人は、直接会ったことのない人間とまで衝突している。
考えてみれば、これは不思議なことだ。
目の前にいない。
声を聞いたこともない。
握手をしたこともない。
それでも、その人の言葉が心を乱す。
その人の成功が、自分を焦らせる。
その人の人生が、自分の人生を採点させる。
人間は、いつからこんなにも近くなってしまったのだろう。
人間が多すぎるのではない
いや。
正確に言えば、違う。
人間が多すぎるのではない。
人間が、人間に近すぎるのだ。
身体的にも。
情報的にも。
心理的にも。
あまりにも近い。
あまりにも多い。
あまりにも、声が聞こえすぎる。
私たちは、他人の人生を知りすぎた。
昔なら知らずに済んだことを知る。
比べずに済んだことを比べる。
気にしなくてもよかったことを気にする。
世界中の人間の声が、いつでも自分の手の中にある。
そして、ときどき。
自分の心が話す前に、世界中の人間が話し始める。
誰かの意見。
誰かの正義。
誰かの成功。
誰かの常識。
誰かの人生。
その声が、次々に流れ込んでくる。
だから、わからなくなる。
自分は何を望んでいるのか。
何が好きなのか。
何が悲しいのか。
どこへ行きたいのか。
自分は、どう生きたいのか。
人間の声が多すぎて、自分の心の声が聞こえなくなる。
だから、人を減らすのではない
昔の世界へ戻ることはできない。
世界の人口を減らすこともできない。
都市を消すこともできない。
インターネットをなくすこともできない。
便利なものを、すべて捨てる必要もない。
だから、現代人に必要なのは、昔へ戻ることではない。
人を減らすことでもない。
人との間に、空白を取り戻すことだ。
一人になる時間。
誰の意見も聞かない時間。
誰とも比較しない時間。
誰にも評価されない時間。
何者にもならなくていい時間。
何かを証明しなくていい時間。
役に立たなくてもいい時間。
発信しなくてもいい時間。
答えを出さなくてもいい時間。
ただ、生きている。
ただ、息をしている。
ただ、目の前の景色を見る。
そのような時間を持つことは、無駄ではない。
現代においてはむしろ。
それこそが、人間が人間であり続けるために必要な時間なのかもしれない。
空白とは、何もないことではない
空白という言葉を聞くと、何もない場所を想像する。
予定がない。
人がいない。
やることがない。
少し寂しい場所のようにも思える。
しかし、私は今、違うように思っている。
空白とは、何もないことではない。
空白とは、自分が、もう一度自分に戻ってくる場所なのだ。
人の声が少し遠ざかる。
比較が少し消える。
評価が少し消える。
「こうあるべき」という声が、少し遠くなる。
そのとき。
ようやく、自分の心が話し始めることがある。
小さな声で。
誰にも聞こえない声で。
自分にしか聞こえない声で。
「本当は、どうしたい?」
「本当は、何が悲しい?」
「本当は、どこへ行きたい?」
そんな問いが、静かに浮かんでくる。
だから私は、少し離れる
人間に疲れたから、人間を嫌いになったのではない。
人間の世界から消えたいわけでもない。
ただ。
人間の声を聞きすぎた。
だから、少し離れる。
人間から。
情報から。
比較から。
評価から。
静かな場所へ行く。
山へ行く。
寺へ行く。
空白の中へ行く。
それは、人間から逃げるためではない。
人と、もう一度ちゃんと生きるために。
一人になることは、人を捨てることではない。
沈黙することは、人生から逃げることではない。
少し離れることは、世界を拒絶することではない。
少し離れるからこそ。
もう一度、人に近づけることがある。
空白の中へ行き、また帰ってくる
私は、人間の世界を捨てたいのではない。
ただ、ときどき。
自分の声を聞きたい。
誰かの声ではなく。
世間の声でもなく。
正しさの声でもなく。
自分の声を。
だから、空白の中へ行く。
そして、また帰ってくる。
人間の世界へ。
人と人がぶつかる世界へ。
人の声であふれた、この世界へ。
今度は、少しだけ違う自分として。
自分の心の声を聞いたあとで。
もう一度、人と生きるために。
人間は、人間に近すぎる。
だから、ときどき空白が必要になる。
空白は、孤独ではない。
逃避でもない。
人生から降りることでもない。
空白は、もう一度、自分の人生へ帰ってくるための場所なのだ。
だから私は、ときどき空白の中へ行く。
人間から逃げるためではない。
人間として、もう一度ちゃんと生きるために。
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