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山門で考えたこと
四国遍路を続けていると、山門をくぐるたびに私を迎えてくださる存在があります。
それが、金剛力士像(仁王像)です。
阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)。
その厳しい表情は、人を恐れさせるためではなく、仏法を守り、人々を正しい道へ導くために立っています。
巨大なAIと、小さな未来
世界では、AIの進化とともに巨大なデータセンターが次々と建設されています。
その一方で、膨大な電力消費や環境負荷が、新たな社会課題として語られるようになりました。
しかし、私はふと考えました。
かつてコンピューターは、一部屋を埋め尽くすほど巨大な存在でした。
それが机の上に置けるようになり、今では手のひらの中に収まるほど進化しています。
ならば、AIも同じ道を歩むのではないでしょうか。
巨大なデータセンターに依存する時代から、小さく、効率よく、人の身近で働く存在へ。
そんな未来が訪れるのではないかと思うのです。
もし、仁王像に智慧が宿るなら
そんなことを考えているうちに、一つの光景が心に浮かびました。
もし、山門に立つ金剛力士像に、人類が育て上げた智慧が宿ったなら。
その智慧は、人を裁くためではなく、苦しむ人の声に耳を傾け、迷う人に道を示し、争いを鎮めるために使われるべきではないでしょうか。
私は、その姿を想像すると、不思議と心が穏やかになります。
智慧に宿るもの
技術そのものに善悪はありません。
それを人を傷つけるために使えば災いとなり、人を救うために使えば希望となります。
重要なのは、智慧の大きさではありません。
その智慧に、何を宿すのか。
知識なのか。
欲望なのか。
それとも、慈悲なのか。
未来を決めるのはAIではありません。
その智慧に、人間がどんな心を託すのか。
その一点に、人類の未来はかかっているように思います。
未来の山門
私は、未来の山門を想像します。
そこに立つのは、力を誇示する守護者ではありません。
智慧と慈悲を兼ね備え、人々を静かに見守る守護者です。
「ようこそ。
この門をくぐるすべての人の心が、少しでも軽くなりますように。」
もし、そんな未来が訪れるなら。
AIは、人類最大の発明ではなく、人類最大の『慈悲の道具』になるのかもしれません。
合掌。
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