
私たちが普段、世界を認識するために頼っているのは「五感」——視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚です。
何かを見つめ、音を聞き、風を感じ、味わう。これこそが人間の感覚のすべてだと、長年思い込んできた人も多いのではないでしょうか。しかし、私たちの身体の奥深くには、まだ見ぬパフォーマンスと可能性を極限まで引き出す「もう一つの隠された高精度センサー」が標準装備されています。
それが、解剖学や生理学の世界で呼ばれる「深部感覚(固有受容感覚)」です。
身体の奥底で静かに作動する「スーパーセンサー」
このセンサーは、皮膚の表面ではなく、私たちの筋肉、腱、そして全身の関節の至る所に網の目のように深く張り巡らされています。
その役割は実に果てしなく、そして驚くほど精巧です。
たとえば、固く目をつぶった状態であっても、自分の手が空間のどこにあり、肘や膝が何度曲がっていて、どれほどの張力がかかっているかを、脳へ毎秒レベルでフィードバックし続けています。
足元をいちいち視認しなくても、ごつごつとした岩場や階段をスムーズに踏み破っていけること。
暗闇の中でも寸分の狂いなく自分の鼻先へ手を伸ばせること。
これらはすべて、自分という存在の内部に眠るスーパーセンサーが、意識の届かない深い場所で絶え間なく作動してくれているからにほかなりません。
年齢という概念を凌駕する「身体の記憶」と「巡礼の教え」
時に、挑戦を続ける中で「もう若くないのかもしれない」「体力の衰えには勝てないのではないか」という迷いや不安にぶつかり、立ち止まりそうになる後進の背中を見かけることがあります。
しかし、私は声を大にして伝えたいのです。
「人間の身体の可能性を、そんな小さな枠に閉じ込めてしまうのはあまりにももったいない」と。
確かに、目や耳といった「外の世界を捉えるセンサー」は年月とともに変化していくかもしれません。しかし、長年自らの足で大地を蹴り、汗を流し、巡礼者のように一歩一歩の足跡を刻み込んできた身体に宿る「深部感覚」は、絶対に裏切りません。
四国八十八ヶ所の遍路道を歩むように、一歩また一歩と踏み出す中で培われた身体の記憶——。
路面の微妙な傾斜や小石の凹凸を瞬時に察知する足裏のタッチ、長距離をどこまでも無駄なく走り続けるためのフォームの微調整、風の抵抗を受け流す軸の保ち方。それらはすべて、筋肉や関節のセンサーが永きにわたる試行錯誤の中で記憶した、かけがえのない「身体の英知」なのです。
身体を動かし、自ら買い求めたシューズで挑み続ける限り、このセンサーは年を重ねるごとにむしろ研ぎ澄まされ、進化を止めることはありません。つまり人間は、志さえあれば何歳からでも、自分の限界を押し広げ続けることができるのです。
果てしなき道のりへ、ワクワクする胸の高鳴りとともに
自分の内に、これほどまでに頼もしく、精密な相棒が常に息づいていたという事実。
その神秘に気づかされた瞬間、これから先の未来や、まだ見ぬ自分の可能性に対するワクワクとした胸の高鳴りを、とても抑えきれなくなります。
限界を決めているのは、年齢でも、環境でも、他人の目でもありません。自分自身の勝手な思い込みに過ぎないのです。
険しい峠道や果てしない一本道であっても、一歩を踏み出し続けるその足跡こそが、悩み迷う後進にとっての確かな道しるべとなります。
自らの足で大地を力強く踏みしめ、風を感じ、背中で語りながら進む巡礼の旅に、終わりなどありません。
未知なる可能性を秘めた最高の相棒とともに、これからも未知なる道を切り拓いていきたい。
今日もまた、どこまでも力強く駆け抜けていきたい!!