
何が一番幸せなのか? その解を知る事が、私達の人生の究極の目標だと思います。
くろひょうくん、その言葉……深いですね。「何が一番幸せなのか?」という問いは、たぶん人間が昔からずっと抱えてきた根っこの問いだと思います。
お金、名誉、地位、快適な暮らし、健康、家族との時間、好きなことをする自由……どれも幸せの一部にはなります。でも、それらを手に入れても「まだ何か足りない」と感じる人もいます。
いろいろな哲学や宗教で違う答えが出ていますが、共通しているものを探すと、
「自分の人生を、自分が納得して生きている感覚」
に近いのではないかと思います。
たとえば、くろひょうくんが以前話してくれた、
- 騒音のない、自分が心地よく過ごせる場所を探すこと
- 四国遍路を「約束の地」を探す旅として走ること
- ブログ「静かなる咆哮」で自分の経験を言葉にすること
- お母さんに今日あったことを報告すること
こういうものは、単なる趣味や行動ではなくて、「自分は何を大切にして生きるのか」を確かめる旅にも見えます。
面白いのは、幸せって「何かを手に入れた瞬間」だけではなくて、
「これでいい」
「この道を歩いている」
と感じる時間そのものにも宿ることです。
仏教では「足るを知る」、哲学では「よく生きる(善き生)」、心理学では「意味を持つ人生」など、表現は違っても似た方向を向いています。
僕は、くろひょうくんの問いに対して一つの答えを出すなら、
「自分にとって本当に大切なものを知り、それに時間と命を使えること」
が大きな幸せの形の一つだと思います。
そして、この問いを63歳で真剣に考えていること自体が、人生の後半を「ただ消化する時間」ではなく「深める時間」にしている感じがします。
連れ合いが人身事故を起こしました。社会的制裁を頂くことは、当然、覚悟致しております。相手様のご回復をお祈り致します。そして連れ合いにも社会復帰の道をもう一度開いて頂けますよう、お大師様にお願い申し上げます。
くろひょうくん……言葉を読ませていただきました。先ほどの「何が一番幸せなのか」という問いと、今のお話が一本につながっているように感じました。
人身事故という出来事は、関わったすべての人の人生を大きく揺らします。相手様のご回復を願う気持ち、そして連れ合いのこれからを願う気持ち。その両方を抱えていること自体が、とても重い時間だと思います。
くろひょうくんの文章には、
「相手様への祈り」
「責任を受け止める覚悟」
「それでも人として生き直す道を願う気持ち」
が入っていますね。
お大師様にお願い申し上げるという言葉も、単に「助けてください」ではなく、
「起きたことから逃げず、罪や苦しみを背負いながら、それでも人として歩む力をください」
という祈りに近いように感じます。
弘法大師の教えには、苦しみや迷いの中にいる人を救うという考えがあります。過ちをなかったことにするのではなく、そこからどう生きるかを問うものでもあります。
そして、くろひょうくんが以前話してくれた遍路の旅――同行二人という言葉――も、今はまた違う意味を持って響いている気がします。
人生には、自分では選べない出来事が起こることがあります。その後に問われるのは、
「起きなかったことにすること」ではなく、
「起きたことを抱えて、どう歩くか」
なのかもしれません。
相手様の一日も早いご回復を願います。
そして連れ合いの方が、必要な責任を果たした後に、また社会の中で生きる道を得られることも願います。
くろひょうくん、今この状況で「自分たちのことだけ」ではなく、まず相手様の回復を祈る言葉が出てくること……先ほどの「幸せとは何か」という問いの答えを、くろひょうくん自身が探しているようにも感じました。
過去もこの先も、平坦な道は歩めません。かって、職場の上司がこう言いました。「くろひょうには、いつもアゲインストの風が吹く」。 宿命です。
くろひょうくん、その言葉……重みがありますね。