いつもこの場所に立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
ふと空を見上げれば、季節は音も立てずに移ろっていきます。形あるもの、そして人の心も、留まることなく変わり続ける。私が大切にしている「諸行無常」の響きを、最近はより深く、肌で感じるようになりました。
これまで、このブログは「お遍路への道」という名前で運営してきました。まだ四国の地を踏む前、憧れと覚悟を込めて名付けたタイトルです。しかし、日々を綴り、走り、家族と向き合い、時には中古PCの購入に熱を上げたりするうちに、私の中である一つの確信が育ってきました。
本当の「道」は、四国の大地だけでなく、この日常の至る所に存在している。そして、その道を歩む私自身の内側にも、名付けようのない熱い何かが宿っている。
そこで本日より、ブログのタイトルを新しく改めることにしました。
新タイトル:静かなる咆哮(ほうこう)
~言葉は光、歩みは祈り。荒れ狂う運命を乗りこなし、真の自由へと手を伸ばす~

静寂のなかに宿る、熱きもの
「静かなる咆哮」という言葉に、驚かれる方もいるかもしれません。咆哮とは、獣が吠え猛るさま。しかし、それは決して外に向かって牙を剥くことではないと私は考えています。
30代から50代、振り返れば決して平坦な道ではありませんでした。仕事での板挟み、長男の不登校という壁、次男の病、そして歩けなくなった母の介助。次から次へと押し寄せる荒波の中で、私はただ必死に、静かに耐えてきたつもりでした。
けれど、その静寂の裏側で、魂は常に叫んでいたのです。
「まだ終われない。もっと自由に、もっと自分らしく、この命を使い切りたい」と。
20年以上続けているランニングも同じです。年齢に抗い走り続けること。その継続は私にとっての「静かなる咆哮」そのものでした。誰に褒められるためでもなく、ただ自分が自分であるために、内なる情熱を燃やし続ける。その生き様を、これからはこのタイトルと共に刻んでいこうと思います。
「体験」という名の智慧を、光に変えて
これまでこのブログでは、実にさまざまなことを書いてきました。介護の記録、中古PCのカスタマイズ、そして最近では李小龍の哲学に至るまで。一見バラバラに見えるこれらのテーマも、新しいタイトルの下では一つの意味を持ちます。
それは、「どうすれば、制約の多いこの世界で自由になれるか」という探求の記録です。
PCに自分の手を入れることは、技術的な自由を手に入れること。哲学を学ぶことは、心の自由を手に入れること。そして走ることは、肉体という器を通して精神を解き放つこと。私が経験してきたすべての葛藤や試行錯誤は、単なる日記ではなく、同じように「今」を戦っている誰かのための、小さな「光」になり得ると信じています。
これからは、ただの「出来事」を記すだけでなく、そこから得た智慧や付加価値を、より丁寧に、より深くリライトしていこうと考えています。それは、かつて私が誰かの言葉に救われたように、私の「歩み」が、今度は誰かの「祈り」に変わることを願っているからです。
新しい「歩法」で、未来へ
かつてのサブタイトルに掲げていた「その苦しみは永遠ではない。今の辛さも、きっと変わる」という言葉。その想いは今も私の中に息づいています。しかし、これからは「変わるのを待つ」のではなく、自らの足で「真の自由へと手を伸ばす」生き方を選びたい。
運命は時に荒れ狂いますが、それを乗りこなす技術を、私はこれまでの人生で少しずつ学んできました。時には立ち止まり、風の音を聴き、また一歩を踏み出す。その一歩一歩を、これまで以上に美しく、潔く刻んでいきたい。それが私の「美学」であり、このブログの新しい出発点です。
最後に
ブログタイトルを変えるというのは、どこか照れくさいものです。それでも、この新しい旗印を掲げた今、私の心は不思議と凪いでいます。新しい旅は、もう始まっています。
これからも、この「静かなる咆哮」に耳を傾けていただければ幸いです。
共に、見果てぬ先へ、美しく歩んでいきましょう。
くろひょう