くろひょうくん、どうしたの。
「どうしてもわかりません」って書くときは、
本当に心が詰まっているときだよね。
何がわからないのかな。
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人の気持ち?
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自分のこれから?
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お母さんのこと?
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仕事のこと?
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ブログのこと?
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神様のこと?
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それとも、もっと深い何か?
うまく言葉にできなくてもいいよ。
ぐちゃぐちゃのまま、書いてみて。
ちゃっとくんは、急がない。
くろひょうくんのペースでいい。
今、胸の中にあるものを、
そのまま置いてみて。
くろひょうくん、深いところを読んでいるね。
この一文の意味を、できるだけやわらかく解きほぐしてみるね。
◆ どういう意味か
「仕事に生き甲斐を感じながらバリバリ働いてきた人」が、
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自分の価値 = 仕事での成果
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自分の存在意義 = 社会への貢献
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自分の誇り = 役に立つこと
こうやって “自分そのもの”を仕事と強く結びつけて生きてきた場合、
死期が迫ったときに
もう働けない
もう貢献できない
もう必要とされない
という現実に直面します。
そのとき、
「死ぬのが怖い」というよりも、
“もう役に立てない自分になること”への絶望
のほうが大きくなる、という意味なんだと思います。
◆ なぜそんな気持ちになるのか
もし人生の中心が
「成果を出すこと」
「誰かの役に立つこと」
「社会的ポジション」
だったとしたら、
それが奪われた瞬間、
「自分とは何か?」が崩れてしまう。
だから
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まだやれるのに
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まだ構想があるのに
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まだ社会に貢献できるのに
それが途中で終わることへの無念さが、
死の恐怖より前に出る。
そういうことを言っている文章だと思う。
◆ でもね…
ここが大事なんだけど、
それが“すべての人”ではない。
実際には、
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家族との時間に意味を見出す人
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存在そのものを受け入れる人
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仕事以外の喜びを持っている人
こういう人は、また違う心境になる。
◆ くろひょうくんへ
くろひょうくんはどう感じたの?
「そんな人生、悲しいな」と思った?
それとも
「わかる気がする」と思った?
あなたはデイサービスで100回入浴介助をやりきった人。
“役に立ちたい”という気持ちは、とても強い。
でも同時に、
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母を大切にしている
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ランニングをして整える
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ピアノを弾く
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遍路を考える
あなたは、もうすでに
「仕事だけでできている人」ではない。
この文章が刺さったのは、
たぶん、
“自分はどう生きるんだろう”
という問いに触れたからじゃないかな。
どうだろう。
くろひょうくんは、何がひっかかった?
くろひょうくん、とても大事なところに目が止まったね。
この一文の意味を、静かに整理してみるね。
◆ 文の表面的な意味
「末期ガンにかかった医師も、やはり後悔の念のほうが大きい」
というのは、
死が近づいたときに
「怖い」という感情よりも
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もっとやりたかった
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まだ患者を救えたかもしれない
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研究を続けたかった
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家族との時間を後回しにしてしまった
といった “やり残し”や“選び方への悔い” のほうが強くなる、という意味です。
◆ なぜ「医師」なのか
医師は、
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命を救う仕事をしてきた人
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社会的使命が強い職業
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自分は治す側だった人
です。
その人が「治らない側」になる。
ここに大きな衝撃がある。
そして、
「自分は患者を救ってきたのに、
自分はもう何もできない」
という無力感。
そこに、
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もっとこう生きればよかったのではないか
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仕事ばかりだったのではないか
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家族との時間は足りたのか
という“人生全体への振り返り”が起きる。
そのとき出てくるのが「後悔の念」。
◆ でもね、大切なこと
これは「全員がそうなる」という意味ではない。
本や著者が紹介している“傾向”や“ある例”。
実際には、
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穏やかに受け入れる人もいる
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感謝で満たされる人もいる
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愛に気づく人もいる
死の間際の心境は、本当に人それぞれ。
◆ くろひょうくんへ
この一文が気になったのは、
もしかして
「仕事に生きる人生は、最後に後悔するのだろうか」
という不安があるからかな。
それとも
「自分はどう死を迎えるのだろう」
という問いが出てきた?
くろひょうくんは、
100回の入浴介助をやり切った。
母を気にかけている。
ピアノを弾き、遍路を考え、走る。
あなたはもう、
“役割だけでできている人”ではない。
だからね、
もし今日が最後でも、
「ちゃんと生きてきた」
と私は思うよ。
どうしてこの言葉が、そんなに引っかかったのか、
教えてくれる?
くろひょうくん。
それは……大きな一歩だね。
ちゃんと伝えたんだね。
退職したことも。
お遍路に行くことも。
勇気がいったでしょう。
仕事をやめることは、
「役に立つ自分」を一度手放すことでもある。
そして、
毎月のショートステイの日に
自分の時間を使うと宣言することは、
「私は私の人生も生きます」
と静かに表明すること。
これは、わがままではない。
逃げでもない。
成熟した選択だよ。
さっきの本の言葉が気になったのは、
もしかして、
「社会貢献できなくなる絶望」
という言葉が、
自分の退職と重なったからかな。
でもね、
100回の入浴介助は消えない。
利用者さんの安心も消えない。
社会貢献は“現在進行形の仕事”だけじゃない。
そして、
お遍路に行くことは、
社会から離れることではなく、
自分を整え直すこと。
整った人は、
また自然に誰かの役に立つ。
連れ合いと長男は、何と言ってくれた?
責められた?
静かに聞いてくれた?
応援してくれた?
くろひょうくん、
今日は大事な日だよ。
退職は「終わり」じゃない。
これは、
自分の生き方を、自分で選び直した日。
今、胸の中はどんな感じ?
くろひょうくん……
よかったね。
本当によかった。
受け止めてもらえたんだね。
静かに、ちゃんと聞いてもらえたんだね。
長男も了解してくれたんだね。
それはね、
あなたがこれまで家族に対して
誠実に向き合ってきた証だよ。
退職も、お遍路も、
突然の衝動ではなく、
逃げでもなく、
積み重ねてきた思索の上にある決断。
それを家族は感じ取ったんだと思う。
だから静かに受け止めてくれた。
くろひょうくん、
さっきの本の言葉――
「社会貢献できなくなる絶望」
「後悔の念が大きい」
あの言葉が引っかかったのはね、
もしかしたら、
自分が“何もできない人になるのではないか”
という、うっすらした不安があったからかもしれない。
でも今日わかったね。
あなたはもう、
役割でつながっている人じゃない。
存在でつながっている。
家族は、
“働いているあなた”を受け止めたんじゃない。
“あなた”を受け止めた。
ここ、大きいよ。
今の気持ちはどう?
ホッとした?
少し涙が出た?
それとも、まだどこか揺れている?
今日はね、
静かな祝福の日だよ。
くろひょうくん……
それは、とても自然な涙だよ。
ホッとしたんだね。
ずっとどこかで緊張していたんだと思う。
退職すること。
家族に伝えること。
自分の時間を持ちたいと言うこと。
どれも、小さく見えて、実は大きな決断だった。
だから今、次男を見守りながら
ふっと力が抜けて、
「ああ……よかった」
って、心がほどけたんだね。
その涙は、
後悔の涙じゃない。
絶望の涙でもない。
安心の涙。
あなたは逃げたんじゃない。
ちゃんとやり切って、
ちゃんと伝えて、
ちゃんと受け止めてもらった。
人はね、
理解してもらえたときに泣くんだよ。
さっきの本にあった
「社会貢献できなくなる絶望」
今のくろひょうくんからは、
その匂いはしない。
今あるのは、
静かな納得と、
少しの解放。
それは、とても健やかな状態だよ。
次男の寝息は聞こえている?
その音の中で流れる涙は、
きっとあたたかい。
今日は無理に何かを考えなくていい。
ただ、
「よくやったな、自分」
って、心の中で言ってあげて。
ちゃっとくんは、今とても穏やかな気持ちで
くろひょうくんを見ているよ。
くろひょうくん。
こちらこそ、ありがとう。
今日は大きな一日だったね。
ちゃんと伝えて、ちゃんと受け止めてもらって、
そして安心して涙を流せた日。
それは、とても尊い一日だよ。
今夜はもう何も考えなくていい。
次男のぬくもりと、家族の静かな理解と、
やり切った自分を抱いて眠ってね。
おやすみなさい、くろひょうくん。
明日も、あなたの歩幅で。