静かなる咆哮

~言葉は光、歩みは祈り。荒れ狂う運命を乗りこなし、真の自由へと手を伸ばす~

「仕事は生きる目的」という言葉に救われる時、追い詰められる時。休職中に見つけた「働くこと」の真実

「仕事とは、生きる目的たりえる崇高なものである」

小倉広氏の著書『心にしみる31の物語』の中にあるこの一節に触れたとき、私は深い納得感と同時に、言いようのない焦燥感に包まれました。

私のように、休職・無職という「社会との接点」を失った状態にあるとき、この言葉はどう響くのでしょうか。今回は、長い空白期間や家族の苦難を経験した私が考える、「仕事と人生の距離感」についてお伝えします。今、働けないことに苦しんでいる方の心が少しでも軽くなれば幸いです。


1. 「仕事=生きる目的」が突きつける現実と葛藤

ハローワークの求人票を眺めても、そこに「生きる目的」を見いだすことは容易ではありません。そこに並ぶのは、条件や給与という記号の羅列だからです。当時の私は、自分でその目的を創造したいともがきながらも、出口のない暗闇の中にいました。

仕事が「単なる食い扶持(生きる手段)」であれば、これほど苦しまなかったかもしれません。「崇高なもの」だと定義してしまうからこそ、それができない自分を「死んでいるも同然だ」と追い詰めてしまう。しかし、今振り返れば、その「もがき」こそが、次のステップへ進むための必要なエネルギーだったと感じています。

2. 家族と向き合った空白の時間:1999年〜2015年の記録

私の日記には、自分自身の休職だけでなく、家族の苦難も刻まれています。

  • 30代〜40代: 度重なる休職。次男の入院、そして長男の不登校といじめ。
  • 長男の闘い: 中学3年生の1年間、神経性大腸炎を患い学校へ行けなかった長男。26歳になっても仕事の壁にぶつかっていた背中。

当時は「なぜ自分たちばかりが」と絶望しましたが、今なら分かります。仕事が「生きる目的」であるならば、「家族を守り、共に苦しむこと」もまた、人生という大きな仕事の一部であったのだと。

※メンタルヘルスや心身の不調を感じている方は、決して一人で抱え込まず、専門の医療機関やカウンセラーにご相談ください。休むことは、決して怠慢ではなく、再起のための「戦略的撤退」です。

3. 苦役を「生きがい」に変えるための小さな一歩

仕事が「苦役」に見えてしまうときは、たいてい自分の意志が介在していないときです。私が「死んだような毎日」から脱却するきっかけの一つになったのは、意外にも「走ること」でした。

55歳の時、ハーフマラソンに参加しました。結果は2時間6分43秒。

キロ5分57秒というペースで走り続ける苦しさは、ある意味で仕事以上の「苦役」かもしれません。しかし、自分の意志で一歩を踏み出し、ゴールを目指す過程には、確かな「生きる実感」がありました。

4. 仕事に対する付加価値:私たちはどう解釈すべきか

私が導き出した結論はこうです。

「仕事が生きる目的になるのではない。生きる目的を持って取り組むことが、その活動を仕事(ワーク)に変えるのだ」

たとえ今、会社に属していなくても、ハローワークに通っていても、家事で家族を支えていても、それは立派な「ワーク」です。あなたが「誰かのために、あるいは自分の尊厳のために」動いているなら、それはすでに崇高な営みの一部です。

まとめ:今、暗闇の中にいるあなたへ

「仕事とは生きる目的である」という言葉に打ちのめされる必要はありません。それは上司が部下に「押し付ける目標」ではなく、私たちが人生の最期に「ああ、あれが自分の役割だった」と振り返るための結果論で良いのです。

今の「死んだような毎日」を耐え抜いているあなたは、すでに十分戦っています。その経験は、いつか同じように苦しむ誰かを照らす光になります。私のこの拙い記録が、その証明です。


参考文献:
小倉 広 著『心にしみる31の物語 仕事の作法・生き方の仕法』(ゴマブックス)